2021-04-07 第204回国会 参議院 決算委員会 第2号
難しさは分かった上で、私もあえて大言壮語しているのでありまして、ただ、大隈重信も言っておりましたが、大言壮語せよと、しかる後それを実行せよということも言っておりましたから、その上で、じゃ、具体的にどうするのかということを頑張って知恵絞って議論していくということはやっぱり若手がやらなければならない、物申さなければならない。
難しさは分かった上で、私もあえて大言壮語しているのでありまして、ただ、大隈重信も言っておりましたが、大言壮語せよと、しかる後それを実行せよということも言っておりましたから、その上で、じゃ、具体的にどうするのかということを頑張って知恵絞って議論していくということはやっぱり若手がやらなければならない、物申さなければならない。
当時も、大隈重信の進言によって現在の財務省所管の造幣局が設立され、改革が進められたという歴史的経緯もございます。やはり、中央銀行デジタル通貨の開発、発行の推進には財務省も本腰となっていただくことを要望いたしたいと思います。 アメリカも、バイデン政権になり、中央銀行デジタル通貨の開発、推進に意欲を見せています。
といいますのは、今、海の中を電車が走っているということを上野先生おっしゃっていただいたんですが、何で海の中を走っているかといいますと、当時、明治の政府といいますか、議会ができる前の状態で、合議制で国の方向を決めていたときに、非常に発言力のあった西郷隆盛は、これはもう軍備を強化するべきだということを強調して、一方、伊藤博文や大隈重信は、これからの近代化には鉄道だということで意見が物すごい対立して、最後
それはなぜかというと、明治当初、軍備の強化を訴える西郷隆盛さんと、それから、これからの近代化には鉄道が必要だという大隈重信さんや伊藤博文さん、こういう人たちの、言うなら対立、意見の対立の中で、最終的には鉄道の必要性も認めたんですけれども、しかし、当時、先生も御承知のように、あの品川一帯というのは薩摩藩の土地や軍部の土地がほとんどだったので、鉄道を敷くのはいいけれども、薩摩の土地は通さない、軍部の土地
○青山(大)委員 学校の教科書という御答弁をいただきましたけれども、私も大学受験の予備校で世界史の先生も今やっていまして、高校のを見ていましても、私は世界史なので日本史の方じゃないんですけれども、見ると、確かに大臣がおっしゃるように、日本史のBとか日本史のAを見ますと、渋沢栄一さんとか津田梅子さんとか、確かに多いんですけれども、同等の、同じ頻度で、犬養毅さんとか岩崎弥太郎さんとか、私なんかは大隈重信
私が行ったときに目についたのは大隈重信先生でありまして、この大隈重信先生は、明治維新からわずか十三年後の一八八一年の五月三十日に統計院を設立いたしました。 そのときの発言が非常に私は重要だと思っておりますので、あえて申し上げると、「現在ノ国勢ヲ詳明セザレバ政府則チ施政ノ便ヲ失フ 過去施政ノ結果ヲ鑑照セザレバ政府其政策ノ利弊ヲ知ルニ由ナシ」。
ちょっともう時間がなくなってきましたけれども、一つ提言ということにはなりますけれども、もし、今回のこの話、厚労省の中のガバナンスの問題であったり、あとは職員の専門性の、知識の問題、認識の問題ということであれば、やはりそういう人たちが集まった形の、昔の大隈重信の統計院ではありませんけれども、統計をやはり一括して扱う、そうした部局をつくるということも考え方の一つとしてあるのではないかなというふうに思いますが
そもそも、もう明治の時代から、明治期の国家建設の段階、その段階で、例えば福沢諭吉であったりあるいは大隈重信、こうした人たちが統計データの重要性についてはうたっています。国の独立を守るための鍵が文明の発達であれば、その度合いを測る有力な手段が統計だと、こうおっしゃっております。
特に、我が国近代統計の祖であり、私の地元長崎の偉人でもあります杉亨二、それと統計制度の確立に尽力をした大隈重信の思い、統計は国家の礎であるという信念に触れることができましたし、先ほどもございましたが、統計乱れれば国乱れるという千野統計局長の名言も拝聴することができたところでございます。
もう一方で、憲法の問題については、これも、早稲田大学をつくった小野梓という人がいますが、これは大隈重信と一緒に早稲田大学をつくった人ですけれども、小野梓は「国憲汎論」を明治十七年に上梓をいたしまして、このときも、小野はこう言ったんですね。日本は地方自治の制によるべしと断言すべきと言ったわけであります。
大隈重信公はもちろんですけれども、下村前文科大臣、岸田外務大臣、稲田防衛大臣、山本農水大臣、そして松野文科大臣も早稲田の出身者であります。官僚にもたくさん優秀な人材を輩出している大学です。その大学がですね、天下りのことについて何も知らなかった、何も気づかなかったなんという言いわけは、本当にただの言いわけにしかならないと思うんですね。
大隈重信と一緒に東京専門学校、今の早稲田大学の創設に当たって、創設に尽力をした小野梓さんという法学者の方がおられるんですけれども、この人が東京専門学校の開校式で次のように述べているんですね。 一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立はその精神の独立に根差す。しかして国民精神の独立は実に学問の独立に由来するものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ずその民を独立せしめざるを得ず。
当然、フランスとの関係を気にした当時の首脳、犬養毅、大隈重信等々は浅羽佐喜太郎に圧力をかけたわけなんです。最終的には、日仏協約によってベトナム人の若者を国外退去させることになってしまいましたけれども、日本人がきちんとあの独立運動を支えたんだ、それがいまだに友情として語り継がれている。
○後藤(斎)委員 大臣、ある御専門家の本によると、今まで政治の中で、特に総理大臣経験者の中では、統計に非常に関心があって、それをベースにどういうふうな国づくりをしようかというふうにお考えになったのは、大隈重信公と吉田茂さんだというふうに言われています。吉田茂さんは、当時はGHQの部分で、ちょうど統計法ができた六十五年前のたしか総理だというふうに承知しています。
時代はちょっと遡って、前に言いましたけれども、明治政府の大隈重信があの列強との条約、不平等条約の改正にいろいろやっていたんですけれども、やっぱりこれがなお不平等というか日本の国益を害するということで、来島恒喜に外務省の前で爆弾を投げ付けられて足が吹っ飛んでしまったと、こういう事件がありましたけれども、当人はその場で自害しましたけれども。
そこに、外務大臣であった、あの被害者となった大隈重信がわざわざ、彼の行為は愛国心から出た行為である、私はこれを称賛するというのを寄せているんですよ。これが真実なんですよ。 あなたはこういう、政治が形骸化して、意味のない答弁だけやっているとそういうことが起こるということなんですよ。どうですか。
先ほども申しましたが、私立学校の振興には特に私ども頑張っておりますが、先ほど来、発議者の中から私立は公立を補完するものだというお話がございましたが、私学は、大隈重信とか福沢諭吉、新島襄とか津田梅子とか井上円了とかいう立派な人たちの設立されました大学がたくさんあります。
委員は早稲田大学の御卒業ですけれども、この間、私の地元、早稲田の創業者の大隈重信公は私の前の佐賀市選出の、まあ百四十年ぶりの大臣らしいんですけれども、この間、顕彰祭がございました。そこのところが、まずは、大隈さんに学ぶというのは何かというと、すべてが教育なんです、すべてが学び。
初代統計院長である大隈重信公もおっしゃっているとおり、正確な統計によって国の姿を詳細に明らかにしなければ、的確な政策を遂行していくことはできません。本年十月に実施される十年に一度の大規模な国勢調査を始め、国民各位の御理解、御参加を得て、正確な調査を実施してまいります。 以上、所管行政の一端を申し上げました。
初代統計院長である大隈重信公もおっしゃっているとおり、正確な統計によって国の姿を詳細に明らかにしなければ、的確な政策を遂行していくことはできません。本年十月に実施される十年に一度の大規模な国勢調査を初め、国民各位の御理解、御参加を得て、正確な調査を実施してまいります。 以上、所管行政の一端を申し上げました。